村元武「プレイガイドジャーナルよ 1971~1985」
1,600円+税
ISBN978-4-86249-282-1 C0036
発行 東方出版
カバー絵 森英二郎
ブックデザイン 日下潤一
大阪労音、フォークリポート、プレイガイドジャーナル、つき合いも数えたら半世紀や。
いつも一緒に歩いたな。大阪、東京、バークレー。
そんなムラモッチャンが本書きよった。
おたがい裏方ながい間やってきたし。
こら読むしかないんちゃう! ──田川律
イベント情報誌の15年
携わった人びとの記録
〈目次〉
序章 創刊からの2年間
1971年7月~1973年6月 編集長・村元武
第1章 野崎町の春
1973年7月~1976年6月 編集長・林信夫
情報と読み物とに広がり。「ぷがじゃマガジン」刊行(74年11月)
京阪神「青春街図」が出そろった有文社と単行本企画
ニコニココンサート(74年1月)と音楽イベント
第1回「アメリカ夏の陣」(74年7月)と海外旅行企画
「フィルムワーク」(75年1月)と映画上映
つかこうへい『ストリッパー物語』(75年5月)と演劇公演
モリスフォーム「さらば大阪」(75年6月)
「フォークリポート」わいせつ裁判一審無罪(76年3月)
「WOW・WOW」創刊(75年8月)
事務所をミナミへ移転(75年12月)
第2章 盛夏の清水町
1976年7月~1980年2月 編集長・山口由美子
増ページで特集・デザイン・表紙ともに充実
単行本出版に踏み切り、『バイトくん』(77年11月)がヒット
3年目以降の「アメリカ夏の陣」
第1回「ネパール冬の陣」(76年12月)
ミナミの地に根づく新事業
続く「フィルムワーク」とドイツ映画祭、新進映画監督躍進
東京ヴォードヴィルショー(77年1月)登場と拡大する演劇公演
ついに春一番コンサート最終回(79年5月)、音楽イベントの縮小
「フォークリポート」わいせつ裁判、控訴審と最高裁判決
離散し入れ替わっていく編集部。有文社、クリエイト大阪のその後
第3章 塩町の秋
1980年3月~1982年12月 編集長・森晴樹~村上知彦
B6ポケット判サイズ、最後の3年間(80年から82年)
チャンネルゼロの動き
単行本出版部門のその後
映画『ガキ帝国』製作と公開(81年2月)
新事業の展開、海外旅行企画の終わり
好調続く演劇公演
ますます困難になる音楽イベント
大きな判型を選ぶ道筋と「マガジン83」プロジェクト
第4章 塩町・厳冬
1983年1月~1985年9月 編集長・村上知彦~小堀純
B5判「プレイガイドジャーナル」スタート(83年1月)
映画上映、演劇公演、単行本の取り組み
「パキスタン自由遊覧」(83年12月)
「21世紀ディレクターズユニオン」旗揚げ(83年4月)
拡大路線が苦戦、編集長交代と元気な演劇公演
単行本を突破口にと
再建計画が進んだが壊れる(85年2月)
新しい経営陣に移行(85年9月)
マイナーかメジャーか
あとがき